がむしゃらでもいいのかも

随分と昔は偏差値やら学歴に拘った覚えがある。

国内最高学府である東京大学へも挑戦をした。

良い大学に入ったからといって働きアリの理論じゃないが、みながみな良い人間になるわけではない。

上に行けば行くだけ広い世界が見渡せるだけだと気付いた。

狭い世界では決して気付かないような新しい事に出会える機会も多くなるから、やっぱり上に行く事ってのは良いのかも知れない。

どこの世界で生きていようが、自分の存在証明をなせるようなモノに出会えたなら幸せになれるはず。

幼い頃は寝るのが嫌いだった。

このまま死んだりするのでは?とか、明日はやってくるのか?

死んだらどうしよう。

自分という存在が忘れ去られてしまうのではないか。

だから、どこかで自分が生きていたという軌跡を残しておきたいと思った。

ノーベル賞なり偉大なる発明や発見なり。

後世に形として残せるものならば理想的であるが、あいにくそんな才を持ち合わせていない。

誰かのために生きることが自分が生きるために繋がる。

どこで思いついたのか知らないが、環境問題が問題視されていく時代を過ごしてるうちに、いつかは自分が解決してやろうって思った。

小学校6年の頃の総合的な学習の一貫として環境問題を扱ったのが影響してるのかも知れない。
ゆとり導入の時代だが、こと総合的学習に関しては無駄ではなかったと思える。

大学に入る頃一番に興味があったのがバイオエネルギー。

うちの大学はその分野ではそこそこの業績があり研究も進んでいて、大学内にプラントまで設備されている。

しかし、各国で色んな議論がなされ、3年という月日が流れていくうちに、自分の環境問題に対する考え方が幾分と変化してしまった。

エネルギー問題とか温暖化とか、そんな事はお偉いさんにまかせることにして、自分はもっと身近な部分から問題を捉えることにする。